7年。

こんばんは。


今日は勘三郎さんの御命日です。


7年前。。ついこの間のような気もするし、

ずいぶん昔のような気もします。


私は2008年に歌舞伎に出合っているので、

約4年間しか勘三郎さんの舞台を観ていません。


初めて勘三郎さんを拝見したのは、

2008年秋の平成中村座の二か月公演でした。


浅草寺横に現れた芝居小屋にどんなにワクワクしたことか。

仮名手本忠臣蔵をA~Dのプログラムに分けて上演した10月。


4つのプログラムを全て観たくて毎週のように小屋に行きました。

早野勘平を勘三郎さんと、当時勘太郎さんが

別プログラムで演じるという趣向も楽しかった。


仁左衛門さんの由良之助が’城明渡し’で花道を去る時、

小屋の外で偶然にカラスが鳴いた奇跡。

もう鳥肌ものでした。


翌月11月は法界坊only。

大千穐楽では勘三郎さんが客席にいらしたアナウンサーの方を舞台に上げて

ファンレターを読んでもらい、みんなで感動を分かち合いました。


尋常でない量の桜吹雪にまみれ、

ボロボロに泣いて幸せな時を過ごしました。


その時の桜は額に入れて今でも飾ってあります。


亀治郎さんで歌舞伎に出合い、

直後に平成中村座でますます歌舞伎の虜になってしまった。


歌舞伎座での思い出は、

さよなら公演の助六の通人もなのだけど、


いつかの納涼歌舞伎で「怪談乳房榎」を観た時でした。

4役早替りをなさり、さらにラストに円朝役で登場。


大きな歌舞伎座の舞台に高座だけがあり、

勘三郎さんが一人。


しゃべっている最中に、

突然お客さんが舞台に近寄り花束を渡すというハプニング!


勘三郎さんはアドリブで円朝として場を納め拍手喝采。

鳴りやまない拍手の中、客席隅々まで視線を送っている姿に

感動が止まりませんでした。


最後に拝見したのは2012年の平成中村座ロングラン公演、

5月の髪結新三でした。


その年の12月に鬼籍に入りました。

当時、不思議な感覚を体験しました。


猿之助さんはその月は「助太刀屋助六 外伝」に出演でした。


お芝居中、猿之助さん演じる助六に、

勘三郎さんが重なりました。


勘三郎さんのお芝居で感じた’心が解放されていく’感覚。

猿之助さんを観ながら、

嬉しい時は喜び、楽しい時は笑い、悲しい時は泣ける。。


そんなシンプルな心にさせてくれる、優しい空気。

初めて猿之助さんは勘三郎さんに似ていると思いました。


猿之助さんのいつかの話で、

勘三郎さんと語り合った時に

「あんたは出る途端、お客様に魔法の粉をかけるんだよ」

と言われたとか。


私はずっとその魔法にかかりっぱなしですが(笑)


勘九郎さんのお話によると、

その時すぐに「すごいよ、俺に似てるよ!」

と猿之助さんを観た勘三郎さんから電話があったそう。


この話はとても嬉しかったです。

勘三郎さんは猿之助さんのことも気にしていたのかなぁと。


また、浅草で吃又の又平を当時勘太郎さんが演じた時、

女房おとくを演じたのが当時亀治郎さんでした。


勘三郎さんが亀治郎さんのおとくを観て

「あれはいいね」と熱く語ったという、

何かの記述を見たことがあります。


吃又で共演するのを観てみたかったです。

猿之助さんのおとくは本当に素敵ですし。



勘三郎さんはたくさんの楽しい思い出をくださいました。

感謝しています。



これからも歌舞伎を楽しみます。





aya。


aya's lounge

歌舞伎に出合って 何だか人生変わりました。

0コメント

  • 1000 / 1000