デビュー戦。
こんばんは。
今日の猿三郎さん段之さんのトークショーは盛況だったようです。
あと2日間行われますが、私は日程合わず参加が叶いません。
でも写真展には近々行けそうです。
写真や絵に囲まれてのんびりしたいです。
帰宅途中、猿之助さんのblogを見て癒されました。
出番の合間がたくさんあるから、けっこう出かけていますね。
エスパスは1回ではないのかな(笑)
さて、久しぶりに私の仕事のお話。
結婚披露宴の司会をしています。
今日、本番前に、
アルバイトでお料理のサービスをしている女の子から、
司会者になるにはどうしたらいいのか聞かれました。
でも。。。
私が司会者になったのは20年前なので事情が変わっているかと(笑)
知っている限りでは、
アナウンス学校の’司会養成コース’に行くか、
司会事務所が開いている’プロ養成講座’に行くかでしょうか。
特殊な仕事なので、
話す仕事の経験が有るか無いかでも違ってくると思います。
20年前の私は話す仕事は未経験でした。
学生時代に演劇部だったことから、
従妹の結婚式の司会を頼まれてしたのが目指したきっかけです。
司会になろうと思う前は旅館で働いていました。
女将になりたくて大学卒業後、
関東ですが、住みこみで着物で勤務してました。
でも女将というのは世襲だということを知り(笑)
なれないことがわかって転職を決意。
東京での営業に異動になってから、
仕事帰りにアナウンス学校に行くようになりました。
司会者になる!と決めたら、
まずは発声や滑舌、ナレーションを勉強しようと思ったからです。
1年半くらい通い、学校が主催する各事務所のオーデションを受け、
最初の事務所に入りました。
その頃には旅館を辞めていました。
事務所に入ったらすぐにデビューできるのかと思いきや、
事務所のレッスンを有料で受けて、
またそこで合格しないとデビューできない仕組み(笑)
それでも、ここまできたら後戻りはできないと必死でした。
レッスン中、私はとっても’落ちこぼれ’でした。
いつも怒られてばかり。
同期がデビューしていく中、半年経ってもできませんでした。
話す仕事を経験している方のほうがやはり早かったです。
見かねた社長が、自分の司会現場に私を連れて歩くようになりました。
いわゆる’カバン持ち’として、
半年の間、週末は司会を見学しながらアシスタント。
一年かけて同期で一番最後にデビューしました。
デビュー戦ということはお客様はもちろん知りません。
当たり前ですがプロとして他の司会者と一緒の扱いです。
前日は眠れず、何度も何度も資料を確認。
会場入りをすると真っ直ぐ司会台へ。
司会者は、基本的に待機場所やロッカーなどはなく、
会場に入ると司会台に直行です。
開演1時間前に現場のスタッフミーティングがあります。
このミーティングは大抵が司会が仕切ります。
毎回違うメンバーでの仕事なので、
全部のイメージをここで共有させるのです。
ちなみに、プロの集まりなので、
知らない人同士でも阿吽の呼吸で仕事をすることが可能です。
でも、デビューの私には阿吽の’あ’の字も想像できない。
それでもまわりの皆さんが私に合わせてくださり、
何とか無事に司会をすることができました。
家に着くと放心状態で何時間も眠り続けました(笑)
嬉しいとか、楽しいとか、面白いとか、そんなこと全く思わず。
やればやるほど、楽しいことより辛いことがたくさんありました。
やりたくてやりたくて就いた仕事です。
辛かったけど、好きだったのだと思います。
10年越えた時が一番辛かった。
そんな時に亀治郎さんに出逢いました。
こんなふうに生きた仕事をしてみたい。。
救われました。
そして、そこからまた9年続けることができました。
司会者になりたい。
その言葉を女の子から聞き、当時が甦りました。
あぁ。。そんな時があったな(笑)
私は好きなことを仕事にできて幸せな人だと思う。
全てのお陰様で続けることができました。
久しぶりに会った仕事の友人に、
しゃべりが優しくなったね。。と言われました。
それはきっと色んな経験を超えてきたからかも。
天邪鬼な私は喜ぶより、ちょっと苦い気持ちでした。
司会は裏方です。
少なくとも私は職人だと思っています。
司会は孤独です。
現場で何か問題が起これば一人で解決しなければなりません。
一つ間違っても、時は待ってくれません。
間違いを引きずらない精神力も必要です。
楽しいポイントは人それぞれです。
目指すと決めたらデビューするまでは頑張ってほしい。
司会台からの眺めが良いことは保証しますので(笑)
司会者になってくれたら嬉しいな。
初心に帰ることができた一日でした。
有難うございました。
aya。
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